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個別記事の管理2007-07-29 (Sun)
しばらく行くと、ニューラナークが見えてきました。
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谷底を流れるクライド川沿いに位置する小さな街ニューラナーク

ビジターセンターで一人£5.95(約1540円)のチケットを購入すると何か聞かれました。よくわからなくてキョトンとしていると、「Japan?」と聞かれ、「Yes」と言うと、日本語のプリントをくれました。
その後、示されたドアから次の場所へ移りました。暗い一室に水車の模型があり、その後、まるで遊園地にあるかのようなアトラクションがありました。順路が決まっていて、先に進むか、後に戻るかしか道はありません。もちろん、体験しました。
日本語の表示があり、係員に申し出れば日本語対応になると書いてあったのでそうしました。
某ランドのホーンテッドマンションのような乗り物に乗り込みます。耳元から聞こえる説明は、紛れもなく日本語でした。
こんな辺鄙な場所にも日本人って来るのだと感心しました。
どうも、生協の概念の発祥の地らしく、研修で訪れる人も多いようです。
その後も順路に従って建物の中を移動すると、紡績機などの展示も見られました。
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外に出て、いよいよ一番見たかった紡績工場の労働者のお宅拝見です。
工場労働者の一室が、1820年当時の様子を再現して見学できるようになっています。私としては、工場が閉鎖された1968年当時を再現して欲しいのですが。そう、その頃スネイプ先生は、8~9歳ですから。
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入口から見た室内の様子    入ってすぐ右側にあるシンク

玄関があって、そこで係員にチケットを見せるのです。
私のスピナーズ・エンドのイメージは、テラスハウス(二階建ての長屋)だったのですが、これはフラットでした。また、ドアを開けたらいきなり居間のスピナーズ・エンドともイメージが違いました。
むしろ、前回行ったベルパーの家の方がイメージに近かったです。
が、労働者の家、というだけでも興奮してしまいました。
写真向かって右の部屋の隅に立てかけてあるのは、行水用のたらいではないかと思います。1820年当時はまだ浴室はなかったはずです。

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煮炊きのできる暖炉。左の部屋の隅にあるのは石炭箱でした。

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居間のすぐ横の小部屋のベッド  別室の作り付けのベッド

どうしても室内でスネイプ先生の写真を撮りたくて、係員さんの目を盗んで撮ろうとしたら、見られてしまい、笑われました。
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あわてて撮ろうとしたので、ピントが合っていません

この紡績工場には、大きな煙突はありませんでした。
やっぱりスピナーズ・エンド近くの紡績工場は、水力紡績機の工場ではないのかもしれません。労働者の住宅が並ぶ様からして、綿の紡績だとは思うのですが。ただ、工場近くのクライド川は、思った以上に水の色が汚く、泡も浮いているのが、イメージに合ってはいました。ちょっと流れは早いのですが。
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唯一見られた煙突        茶色い川の水と川面に浮かぶ泡

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左)川から工場、住宅地に向かう鉄柵(錆びてはいない)
右)現在ユースホステルとして使われている労働者の家並み

施設内のカフェでお昼にしました。スープにパンがついてくるとは知らず、買ってしまったサンドイッチ(ツナマヨネーズ&トマト)は、結局夕飯に食べました。
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サンドイッチ、キャロット&コリアンダースープ、パン、フルーツケーキ、紅茶

食事の後、1:23発の電車に乗るため、急いで出発しました。
ここでゆっくり店の中でも見学すれば良かったと今になって思いますが、この時は、一刻も早くエジンバラに戻り、母の見たがったエジンバラ城を見学したかったのです。
* Category : 2回目(2007年7月)
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